シアスター・ゲイツ:文化と創造行為を遺産とすること no.1
2022. 03. 09
Author中西園子 / Sonoko Nakanishi
Category
Art
欧米とその影響下にある現代美術の世界では、現代社会の諸問題に深く関わり、変革を目指す活動がアーティストの仕事としてますます重要な位置を占めるようになってきている。プロフィールに「活動家(activist)」と併記されるアーティストも稀ではなくなった。シカゴ出身のアーティスト、シアスター・ゲイツは、こうした潮流を代表する一人だ。彼の活動は、個人としての制作から他のアーティストとのコラボレーション、そして街づくりと呼ぶべき規模のものまで、さまざまなスケールで展開される。それを貫いているのは、創造行為を通した自らのアイデンティティの探求と、現在と未来の共同体のために豊かな創造行為の遺産を残す実践だ。
《Afro-Ikebana》(2019年)と題されたインスタレーション。床と壁に直接設置された畳を介して、壁にかけられたブロンズ製のアフリカの仮面と、季節の植物の生けられた陶の花器が出会う。畳は、花器の方から見ると床の間を模しているようにも見え、ブロンズのオブジェから見ると家具のメタファーでもあるかのように見える。アフリカと日本というそれぞれ遠く離れた文化が生み出した、異なる形や機能を持つものが、ゲイツの手を通してミニマルな空間の中で共存する作品だ。「Afro-Mingei」と題された個展では、1960年代のジャズで多用されたハモンドB3オルガン、礼拝用の古い十字架といったアフリカ系アメリカ人の文化を象徴するオブジェが、西アフリカ原産のボンゴシで作られたキューブ状の枠の中に設置される。《Sound Cube》と題されたこの作品では、日本の神道建築を参照したこの木枠が、神殿の機能を持つかのように中に設置されたオブジェを神聖なものへと変化させる。
大学で都市計画や宗教学とともに陶芸を専攻したゲイツは、当初陶芸家の道を志した。白人作家中心だったアメリカの陶芸界で、アフリカ系である自分にとってのロールモデルの不在を感じていた中、大きな影響を与えたのが日本の民芸思想との出会いだった。20世紀初めに柳宗悦が唱え、濱田庄司や河井寛次郎といった陶芸家たちとともに展開した民芸運動の中心には、名もない民衆が手仕事により生み出した日用品の中に美を見出すという態度がある。この思想に出会うことで、ゲイツは、自分の人種的ルーツであるアフリカの陶芸、工芸へと改めて目を向けることになる。ゲイツは、民芸思想を、欧米中心的あるいは白人中心的な美の価値観に対抗し、非白人系の文化や芸術の独自の価値を強調するための見方として受け入れていく。(註1)
こうした視点は、「Afro-Mingei」展の作品のように、しばしば日本とアフリカの文化的ハイブリッドというかたちで表現される。2007年、シカゴのハイド・パーク・アーツ・センターで開催された個展では、第二次大戦後にアメリカ南部に移住した日本の陶芸家ショウジ・ヤマグチなる人物の物語が語られた。ヤマグチはミシシッピで公民権運動の活動家メイと出会い結婚。息子のジョン・パーソン・ヤマグチは父の跡を継いでミシシッピで陶芸家となったというものだ。そして、これに関連したイベントでは、100人のゲストにジョンが制作したという器で南部のソウル・フードと日本食が振舞われた。実際に器を制作したのはゲイツであり、ヤマグチ家の物語は彼の想像によるフィクションだ。ゲストは、ショウジとメイの移民や差別の経験、二人のロマンスに思いを馳せながら、ジョンの器の中に二つの異なる文化の跡を想像する。ここで、架空の陶芸家ジョンは、文字通り日本人とアフリカ系アメリカ人のハイブリッドであり、ゲイツは器の制作を通じてジョンのアイデンティティと一体化する。陶芸を通じて親しんだ日本の文化、自分のルーツであるアフリカ、アメリカ南部の黒人文化の価値を自由に結びつけ、新たなスタイルとして継承していくことは、白人中心の制度によって美の基準や美術教育が作られてきた欧米において、ゲイツがアーティストとしてのアイデンティティを獲得することに通じている。
日本の民芸思想はまた、個人主義的なアーティスト像に対してゲイツが抱く違和感にも応える。ゲイツは、無名の職人による仕事や集団による創造活動から大きなインスピレーションを得ている。なぜならある文化の価値の継承は、一人の努力で実現できるものでも、一夜にして行われるものでもない。ゲイツが個人としての制作の他に、集団による活動や共同体づくりにも力を入れるのは、自分のルーツでもある文化が継承されていくための現実的な戦略によるものでもある。ゲイツが中心となって活動する《The Black Monks》は、ソウル、ジャズ、ブルース、ゴスペルといったアメリカ南部の黒人音楽の伝統を参照しつつ実験的音楽を制作するバンドだ。声や音を通してスピリチュアルな次元を呼び覚ますようなそのパフォーマンスは、バンド名が示唆するように、ある種の宗教的な儀式にも似ている。そこではゲイツを含むそれぞれのメンバーの個性よりも、調和やオーディエンスとの一体感が強調され、バンド活動は集団的な創造行為として実践されている。こうしたバンドの活動では、それを構成するメンバー同士が少なからず影響を与え合いながら各々の創造性を高めていくような環境が想像される。他者の創造行為への関心は、ゲイツの共同体再建のプロジェクトを推進する大きな動機にもなっている。
次の記事では、こうしたゲイツの視点が街づくりにおいてどのように展開されているかを見ていきたい。
–
註1:ここでは、柳の民芸思想がオリエンタリズム、すなわち植民地主義的な視点に基づくものであるという批判に言及しておくべきだろう。柄谷行人、「美学の効用−『オリエンタリズム以後』」、『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』、2004年、岩波書店を参照。柄谷の論文は英語にも翻訳されているが、こうした問題にゲイツが言及している箇所は見当たらない。しかし、アフリカ系アメリカ人が抱くアフリカ像には複雑な問題があるとしても、民芸思想に通じる帝国主義的な視点はゲイツにおいては見られないように筆者は思う。
シアスター・ゲイツ Theaster Gates
1973年、シカゴ生まれ。アイオワ州立大学、ケープタウン大学などで都市計画、陶芸、宗教学の学位を取得。陶芸、パフォーマンス、インスタレーションなどの仕事とともに、2006年以降取り組む地元シカゴのサウス・サイドの一角の再開発《ドーチェスター・プロジェクツ》をはじめ、芸術文化を中心にしたコミュニティ再生プロジェクトで知られる。作家としては、近年、ホワイトチャペル・ギャラリー(2021年、ロンドン)、パレ・ド・トーキョー(2020年、パリ)、ウォーカー・アート・センター(2019年、ミネアポリス)等で個展を開催、またドクメンタ13(2012年)や第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2015年)といった国際展で紹介されている。現在、シカゴのスタジオを拠点に活動。
https://www.theastergates.com/
《Afro-Ikebana》(2019年)と題されたインスタレーション。床と壁に直接設置された畳を介して、壁にかけられたブロンズ製のアフリカの仮面と、季節の植物の生けられた陶の花器が出会う。畳は、花器の方から見ると床の間を模しているようにも見え、ブロンズのオブジェから見ると家具のメタファーでもあるかのように見える。アフリカと日本というそれぞれ遠く離れた文化が生み出した、異なる形や機能を持つものが、ゲイツの手を通してミニマルな空間の中で共存する作品だ。「Afro-Mingei」と題された個展では、1960年代のジャズで多用されたハモンドB3オルガン、礼拝用の古い十字架といったアフリカ系アメリカ人の文化を象徴するオブジェが、西アフリカ原産のボンゴシで作られたキューブ状の枠の中に設置される。《Sound Cube》と題されたこの作品では、日本の神道建築を参照したこの木枠が、神殿の機能を持つかのように中に設置されたオブジェを神聖なものへと変化させる。
大学で都市計画や宗教学とともに陶芸を専攻したゲイツは、当初陶芸家の道を志した。白人作家中心だったアメリカの陶芸界で、アフリカ系である自分にとってのロールモデルの不在を感じていた中、大きな影響を与えたのが日本の民芸思想との出会いだった。20世紀初めに柳宗悦が唱え、濱田庄司や河井寛次郎といった陶芸家たちとともに展開した民芸運動の中心には、名もない民衆が手仕事により生み出した日用品の中に美を見出すという態度がある。この思想に出会うことで、ゲイツは、自分の人種的ルーツであるアフリカの陶芸、工芸へと改めて目を向けることになる。ゲイツは、民芸思想を、欧米中心的あるいは白人中心的な美の価値観に対抗し、非白人系の文化や芸術の独自の価値を強調するための見方として受け入れていく。(註1)
こうした視点は、「Afro-Mingei」展の作品のように、しばしば日本とアフリカの文化的ハイブリッドというかたちで表現される。2007年、シカゴのハイド・パーク・アーツ・センターで開催された個展では、第二次大戦後にアメリカ南部に移住した日本の陶芸家ショウジ・ヤマグチなる人物の物語が語られた。ヤマグチはミシシッピで公民権運動の活動家メイと出会い結婚。息子のジョン・パーソン・ヤマグチは父の跡を継いでミシシッピで陶芸家となったというものだ。そして、これに関連したイベントでは、100人のゲストにジョンが制作したという器で南部のソウル・フードと日本食が振舞われた。実際に器を制作したのはゲイツであり、ヤマグチ家の物語は彼の想像によるフィクションだ。ゲストは、ショウジとメイの移民や差別の経験、二人のロマンスに思いを馳せながら、ジョンの器の中に二つの異なる文化の跡を想像する。ここで、架空の陶芸家ジョンは、文字通り日本人とアフリカ系アメリカ人のハイブリッドであり、ゲイツは器の制作を通じてジョンのアイデンティティと一体化する。陶芸を通じて親しんだ日本の文化、自分のルーツであるアフリカ、アメリカ南部の黒人文化の価値を自由に結びつけ、新たなスタイルとして継承していくことは、白人中心の制度によって美の基準や美術教育が作られてきた欧米において、ゲイツがアーティストとしてのアイデンティティを獲得することに通じている。
日本の民芸思想はまた、個人主義的なアーティスト像に対してゲイツが抱く違和感にも応える。ゲイツは、無名の職人による仕事や集団による創造活動から大きなインスピレーションを得ている。なぜならある文化の価値の継承は、一人の努力で実現できるものでも、一夜にして行われるものでもない。ゲイツが個人としての制作の他に、集団による活動や共同体づくりにも力を入れるのは、自分のルーツでもある文化が継承されていくための現実的な戦略によるものでもある。ゲイツが中心となって活動する《The Black Monks》は、ソウル、ジャズ、ブルース、ゴスペルといったアメリカ南部の黒人音楽の伝統を参照しつつ実験的音楽を制作するバンドだ。声や音を通してスピリチュアルな次元を呼び覚ますようなそのパフォーマンスは、バンド名が示唆するように、ある種の宗教的な儀式にも似ている。そこではゲイツを含むそれぞれのメンバーの個性よりも、調和やオーディエンスとの一体感が強調され、バンド活動は集団的な創造行為として実践されている。こうしたバンドの活動では、それを構成するメンバー同士が少なからず影響を与え合いながら各々の創造性を高めていくような環境が想像される。他者の創造行為への関心は、ゲイツの共同体再建のプロジェクトを推進する大きな動機にもなっている。
次の記事では、こうしたゲイツの視点が街づくりにおいてどのように展開されているかを見ていきたい。
–
註1:ここでは、柳の民芸思想がオリエンタリズム、すなわち植民地主義的な視点に基づくものであるという批判に言及しておくべきだろう。柄谷行人、「美学の効用−『オリエンタリズム以後』」、『定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学』、2004年、岩波書店を参照。柄谷の論文は英語にも翻訳されているが、こうした問題にゲイツが言及している箇所は見当たらない。しかし、アフリカ系アメリカ人が抱くアフリカ像には複雑な問題があるとしても、民芸思想に通じる帝国主義的な視点はゲイツにおいては見られないように筆者は思う。
シアスター・ゲイツ Theaster Gates
1973年、シカゴ生まれ。アイオワ州立大学、ケープタウン大学などで都市計画、陶芸、宗教学の学位を取得。陶芸、パフォーマンス、インスタレーションなどの仕事とともに、2006年以降取り組む地元シカゴのサウス・サイドの一角の再開発《ドーチェスター・プロジェクツ》をはじめ、芸術文化を中心にしたコミュニティ再生プロジェクトで知られる。作家としては、近年、ホワイトチャペル・ギャラリー(2021年、ロンドン)、パレ・ド・トーキョー(2020年、パリ)、ウォーカー・アート・センター(2019年、ミネアポリス)等で個展を開催、またドクメンタ13(2012年)や第56回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2015年)といった国際展で紹介されている。現在、シカゴのスタジオを拠点に活動。
https://www.theastergates.com/